別荘の設計で、必ずと言っていいほど出てくる悩みがあります。
- 「このスペース、本当に必要だろうか」
- 「使わないなら、部屋にしたほうがいいのでは」
- 「余白が多すぎると、もったいない気がする」
とくに計画が進み、面積やコストが現実的になってくると、最初に削られるのが“余白“です。
しかし別荘において、
この判断を間違えると、完成後にこう感じることになります。
「きれいだけれど、なぜか落ち着かない」
「長く居る理由が見つからない」
この記事では、別荘の満足度を大きく左右する「削ってよい余白」と
「削ってはいけない余白」の境界を整理します。
1|そもそも別荘における「余白」とは何か
まず確認したいのは、別荘における余白は使われない面積のことではありません。
余白とは、
- 行為が決まっていない
- 目的を持たされていない
- 何もしなくても成立する
そうした状態を許す空間です。
- 廊下のようで、廊下ではない場所
- 部屋とも言えない、居場所
- 動線の途中に生まれる“間”
これらは、図面上では説明しにくく、
数字にもなりません。しかし別荘では、
この余白こそが時間の質を決める要素になります。
2|削ってよい余白・削ってはいけない余白
結論から言うと、別荘の余白には、削ってよいものと絶対に削ってはいけないものがあります。
削ってよい余白
- 通過するだけで、滞在しない
- 光・視線・気配と関係していない
- どこにあっても変わらない
たとえば、
- ただ広いだけのホール
- 意味なく余った廊下
- 目的も居心地もない空白
こうした余白は、整理しても別荘の質は下がりません。
削ってはいけない余白
一方で、
次のような余白は削ってはいけません。
- 人が立ち止まる
- 無意識に滞在が生まれる
- 光・風・視線と結びついている
たとえば、
- 窓際の奥行き
- 部屋と部屋のあいだの“間”
- 外と内をつなぐ曖昧な場所
これらは、別荘の「居続けられる理由」そのものです。

3|余白を削りすぎた別荘に起きること
余白を削りすぎると、別荘には次のような変化が起こります。
(1)行為で空間が埋まる
余白がない別荘では、
- 食べる
- 寝る
- 入る
- 見る
といった行為だけが残ります。
結果、「一通りやったら終わり」という滞在になります。
(2)居場所が限定される
余白が少ない別荘では、
- リビング
- ダイニング
- 寝室
以外に、居られる場所がなくなります。
すると、
- 長時間同じ場所にいる
- 飽きる
- 早く帰りたくなる
という流れが生まれます。
(3)建築が“効率的すぎる”
効率の良い別荘は、一見、無駄がありません。
しかし別荘において効率の良さは、快適さと一致しません。
余白を削りすぎると、建築が日常に近づきすぎてしまいます。
4|余白は「部屋」にしないほうがいい
よくある判断が、「この余白、部屋にできますよね?」というものです。
しかし、余白を部屋に変えた瞬間、
- 用途が固定され
- 行為が決まり
- 使われない部屋が増え
結果として、別荘全体の満足度が下がることがあります。
余白は、部屋にならないから価値があるのです。
5|良い余白は「削れない」場所にある
設計を進めると、不思議なことが起きます。
良い余白ほど、「削れない場所」に現れます。
- 構造的に必要
- 採光上どうしても必要
- 動線上なくせない
こうした場所に、少しだけ余裕を与える。
それが、質の高い余白になります。
無理につくった余白より、
必然から生まれた余白のほうが、長く愛されます。
6|自然素材は、余白を成立させる
余白が成立するかどうかは、素材にも大きく左右されます。
- 何もないと寒々しい素材
- 触れないと成立しない素材
こうした空間では、余白は「空き」になります。
一方、自然素材は、
- 何もなくても成立する
- 光だけで表情が変わる
- 時間が流れる
余白を居心地に変える力があります。
だから別荘では、余白と自然素材の相性が非常に良いのです。
7|別荘の余白は「削る」より「調整する」
重要なのは、余白をゼロにするか、残すか、ではありません。
- 奥行きを10cm削る
- 天井高さを少し抑える
- 視線を整理する
こうした微調整によって、余白は「無駄」から「質」に変わります。
削りすぎず、しかし放置もしない。
これが、別荘の余白を扱う正しい姿勢です。

まとめ|別荘の余白は「最後に削る場所」ではない
別荘の余白は、コスト調整のために最後に削る場所ではありません。
むしろ、
- 最初に考え
- 最後まで守る
べき要素です。削ってよい余白と、削ってはいけない余白。
その違いは、人がそこに留まるかどうか。
別荘とは、何かをするための建築ではなく、何もしない時間を受け止める建築です。
そのための余白をどこまで削れるか。
その答えは、「そこに、居続けたいかどうか」という感覚の中にあります。







