フランク・ロイド・ライトが設計した旧帝国ホテル(1923年完成)は、日本の近代建築史の中でも特に象徴的な存在として知られています。その中でも特徴的な意匠のひとつが、壁面や柱に用いられた「光籠(ひかりかご)」と呼ばれるテラコッタです。
この光籠は単なる装飾ではなく、光と影を制御し、建築に独特の陰影を与える装置として設計されていました。しかし、このデザインは帝国ホテルで突然生まれたものではありません。ライトの建築思想を遡ると、その起源は1910年代の第1次黄金期の後半にまでさかのぼることができます。
さらに、その後のライトの建築作品を追っていくと、この光籠の思想は形を変えながらテキスタイル・ブロック、そしてユーソニアン住宅へと発展していくことが分かります。
本稿では、旧帝国ホテルの光籠のデザインの起源と、その後の展開について整理していきます。

1| 「光籠」の原型 ― ミッドウェイ・ガーデン
帝国ホテルの光籠の原型となるデザインは、1914年にシカゴで完成したミッドウェイ・ガーデン(Midway Gardens)に見ることができます。
この建築は、当時のシカゴの娯楽施設として計画されたレストランとダンスホールの複合施設でした。現在は残念ながら取り壊されてしまいましたが、ライトの装飾建築の中でも重要な作品として知られています。
ミッドウェイ・ガーデンでは、外壁に黄色いレンガ(イエロー・ブリック)が用いられていました。そして、その壁面にアクセントとして配置されたのが、複雑な幾何学模様を持つコンクリート製の装飾パネルでした。
当時のアメリカ建築では、シカゴ派の建築を中心にテラコッタ装飾が流行していました。テラコッタは装飾表現に優れた素材ですが、製造には専用工場が必要であり、コストも高くなります。
それに対してライトは、コンクリートという素材の持つ可塑性に注目していました。
コンクリートは型枠を用いることで自由な形を作ることができ、現場近くでも製造が可能です。
つまり、工業製品としての効率性と、造形表現の自由度を同時に持つ素材だったのです。
このミッドウェイ・ガーデンで試みられた
「レンガ壁+コンクリート装飾パネル」という構成は、
後の旧帝国ホテルの「すだれ煉瓦+光籠のテラコッタ」へとつながっていきます。
2|旧帝国ホテル ― 「光籠」という装置
旧帝国ホテルでは、これらのコンクリート装飾がさらに発展し、光を通す装置としてのテラコッタと大谷石の装飾へと変化しました。
光籠は幾何学的な彫刻が施されたブロックで、部分的に開口を持っています。内部に電灯を埋め込み、壁の一部から光が漏れる装置にしています。
ここで重要なのは、ライトが単なる装飾としてではなく、光の制御装置としてブロックを使っている点です。装飾を機能の一部に取り込んでいく手法は、ライトの設計の基本的な姿勢です。
装飾は、壁の表面に貼り付けられたものではありません。
むしろ、光と空間をつくる建築装置として存在しています。
そのため、アールデコの流れとは異なる思想 つまり、
大量生産を用いた建築生産を目指しており、「装飾と構造の統合」というテーマもその流れの一部と考えられます。

3|1920年代 ― テキスタイル・ブロックの誕生
1920年代に入ると、ライトはこのブロックの考え方をさらに発展させ、テキスタイル・ブロック・システムを開発します。
これはロサンゼルスで建てられた住宅群で用いられた建築システムです。
代表的な作品としては
・ミラード邸(Millard House)
・ストーラー邸(Storer House)
・フリーマン邸(Freeman House)
・エニス邸(Ennis House)
などが挙げられます。
このシステムでは、コンクリートブロックが単なる装飾ではなく、
建物の構造体そのものになっています。
ブロックには装飾的な模様が刻まれており、それらが繰り返し並ぶことで建築の表情をつくり出します。そしてブロック同士は鉄筋で連結され、まるで布を織るように組み上げられることから、ライトはこれを「テキスタイル(織物)ブロック」と呼びました。
ここでは、旧帝国ホテルの光籠と同様に、部分的に穴の開いたブロックが使われ、
外光を取り込む工夫がされています。
つまり旧帝国ホテルの光籠は、
装飾ブロックから構造ブロックへの進化の中間段階に位置していると言えるでしょう。

4| 光籠に近い表現 ― リチャード・ロイド邸
1929年に建てられたリチャード・ロイド・ジョーンズ邸では、
旧帝国ホテルの光籠に近い装飾表現を見ることができます。
この住宅では、壁面に幾何学的なコンクリート装飾が使われており、
光と影のパターンが強調されています。
ライトはこの時期、ブロックという単位を通して
建築を構成する方法を繰り返し研究していました。
つまり、光籠のような意匠は単発のデザインではなく、
ライトの建築思想の中で長く続くテーマだったのです。

5|1930年代以降 ― オートマティック・ユーソニアン
それがオートマティック・ユーソニアン(Usonian Automatic)住宅です。
1930年代以降、ライトはさらに大胆な試みを行います。
これはコンクリートブロックを用いた住宅システムで、
誰でも建てられる住宅を目標に開発されました。
ライトはアメリカの住宅問題を解決するため、
- 安価
- 大量生産
- セルフビルド可能
という条件を満たす住宅を構想していました。
この住宅では、ブロックの形態は標準化され、
装飾はほぼ完全に排除されています。
旧帝国ホテルの光籠のような複雑な彫刻は見られません。
またブロックは鉄筋によって組み上げられ、
簡単な施工で建てられるように設計されていました。
さらにライトは、現場の砂を混ぜてコンクリートを作ることまで行っています。
しかし実際には、材料の品質管理が難しく、
必ずしも理想通りの結果にはなりませんでした。
それでもこの試みからは、ライトが単なる造形家ではなく、
住宅の社会的生産システムを考える建築家であったことが分かります。
6|「光籠」の意味
帝国ホテルの光籠をライトの建築の流れの中で見ると、
その位置づけがはっきりします。
- ミッドウェイ・ガーデン→黄色いレンガ+ 装飾パネル
- 帝国ホテル→ スクラッチタイル+光を扱う装飾テラコッタ+装飾された大谷石
- テキスタイル・ブロック→ 構造と装飾の統合と1つの素材に統合
- オートマティック・ユーソニアン→ 大量生産住宅システム;ブロックの標準化
つまり光籠は、ライトの建築思想の中で
装飾から構造へ
という進化の過程にある重要なデザインだったのです。
それは単なる美しい装飾ではありません。
建築の部材をユニット化し、光や構造を統合するという、ライトの長年の実験の一部でした。

まとめ
旧帝国ホテルの光籠は、日本建築史の中では特異な装飾として
語られることが多いものです。
しかし、ライトの建築の流れの中で見ると、それは孤立したデザインではありません。
1910年代のミッドウェイ・ガーデンに始まり、
1920年代のテキスタイル・ブロック、
そして1930年代のユーソニアン住宅へと続く、
コンクリートブロック建築の長い実験の一部だったのです。
ライトは生涯を通して、建築を
- 工業生産
- 構造
- 装飾
- 光
の統合として考え続けました。
旧帝国ホテルの光籠は、その思想が最も美しい形で現れた瞬間のひとつと言えるでしょう。

